【薬】薬害

 今回取り上げるサリドマイド製剤、キノホルム製剤については、一般用医薬品(大衆薬)として販売されていた時期もありました。

サリドマイド事件の概要と被害者の今 より

 薬害については、当時の科学ではわかり得なかった点も多く、それは今の薬についても当てはまるということ。
 薬害を通して、薬のリスクとともに、どのように対応すると被害が広がらなかったかについて考えたいですね。


サリドマイド訴訟 

 催眠鎮静剤として販売されたサリドマイド製剤。これを妊娠している女性が使用したことで、出生児に四肢欠損、耳の障害等の先天異常(サリドマイド胎芽症)が発生しました。

 サリドマイド製剤については、1957年に西ドイツ(当時)で販売が開始され、日本では1958年1月から販売されていました。
 1961年11月、西ドイツのレンツ博士がサリドマイド製剤の催奇形性について警告を発し、西ドイツでは製品が回収されました。
 同じ年の12月に西ドイツ企業から日本にも勧告が届いており、翌年もその企業から警告が発せられていたにもかかわらず、出荷停止は1962年5月まで行われませんでした。そして販売停止及び回収措置は同年9月であるなど、対応の遅さが問題視されました。
 1963年6月に製薬企業を被告として、さらに翌年12月には国及び製薬企業を被告として提訴され、1974年10月に和解が成立。 

 サリドマイドは催眠鎮静成分として承認され、鎮静作用を目的として胃腸薬にも配合されました。
 しかし、副作用として血管新生を妨げる作用もあったのです。
 血管新生とは、既に存在する血管から新しい血管が形成されること。また、新しい血管によって栄養分などが運ばれることも指しています。

 妊娠している女性が摂取したサリドマイドは、血液-胎盤関門を通過して胎児に移行します。胎児の血管新生が妨げられると、細胞分裂が正常に行われず、器官が十分に成長しません。そのため、四肢欠損、視聴覚の感覚器や心肺機能の障害などの先天異常が発生するのです。 
 なお、血管新生を妨げる作用は、サリドマイドの光学異性体のうち、S 体だけが持つ作用であり、R体にはなく、また、鎮静作用はR体 487 のみが有するとされています。しかし、サリドマイドは体内でR体とS体が転換するため、R体のサリドマイドを分離して製剤化しても催奇形性は避けられません。 
 光学異性体とは、分子の化学的配列は同じでも、鏡像関係(鏡に映ったように左右対称の関係)にあり、互いに重ね合わせることができないもの。言い換えると、右手と左手のように、左右対称でも上下には重なり合わないもの。
 サリドマイド製剤はR体とS体が分離されていない混合体(ラセミ体)を用いて製造されており、当時は、光学異性体の違 いによって有効性や安全性に差が生じることは明確ではありませんでした。
 その後、新たな有効成分を含む医薬品を承認する際には、 光学異性体の有無や有効性、安全性等への影響についても確認、評価がなされるようになりました。
サリドマイド事件の概要と被害者の今 より

 今では考えられないような宣伝文句がつけられていたようです。また、つわり止めとしても使われていたとのこと。 

スモン訴訟 

 整腸剤として販売されていたキノホルム製剤を使用したことで、亜急性脊髄視神経症が発症しました。英語のSubacute Myelo-Optico-Neuropathy の頭文字をとってスモンと呼ばれています。
 スモンの症状は、初期は腹部の膨満感。そして激しい腹痛を伴う下痢が起こり、次第に下半身のしびれや脱力、歩行困難などが現れます。麻痺は上半身にも及ぶことがあり、ときに視覚障害から失明に至ることもありました。 

 キノホルム製剤は、1924年から整腸剤として販売されていました。1958年頃から消化器症状を伴う特異な神経症状が報告されるようになり、米国では1960年にアメーバ赤痢に使用が制限。
 日本では、1970年8月になって、スモンの原因はキノホルムであるとの説が発表され、同年9月に販売が停止されました。1971年5月に国及び製薬企業は被告として提訴されました。
 被告である国は、スモン患者の早期救済のためには、和解による解決が望ましいとの基本方針に立って、1977年10月に東京地裁において和解が成立して以来、各地の地裁及び高裁において和解が勧められ、 511 1979年9月に全面和解が成立。 
 スモン患者に対しては、治療研究施設の整備、治療法の開発調査研究の推進、施術費そして 医療費の自己負担分の公費負担、世帯厚生資金貸付による生活資金の貸付、重症患者に対する介護事業が講じられています。
 
 サリドマイド訴訟、スモン訴訟を契機として、1979年、医薬品の副作用による健康被害の迅速な救済を図るため、医薬品副作用被害救済制度が創設されました。

スモン、CJD、SJSについて より



 HIV訴訟 

 血友病とは、止血に必要な凝固因子が不足しているため、出血した場合に止まりにくい病気。その患者が、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が混入した原料血漿から製造された血液凝固因子製剤の投与を受けたことにより、HIVに感染したことに対する損害賠償訴訟。「薬害エイズ事件」としても知られています。

 国と製薬企業が、1989年5月に大阪地裁、同年10月に東京地裁で提訴されました。大阪地裁、東京地裁は、1995年10月、1996年3月にそれぞれ和解勧告 を行い、1996年3月に両地裁で和解が成立。 

 HIV感染者に対する恒久対策のほか、医薬品の副作用等による健康被害の再発防止に向 けた取り組みも進められました。
 そして、医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構(当時)との連携による承認審査体制の充実、製薬企業に対し従来の副作用報告に加えて感染症報告の義務づけ、緊急に必要とされる医薬品を迅速に供給するための「緊急輸入」制度の創設等を内容とする改正薬事法が1996年に成立し、翌年4月に施行。
 また、血液製剤の安全確保対策 547 として検査や献血時の問診の充実が図られるとともに、薬事行政組織の再編、情報公開、健康危機管理体制の確立などが進められました。 

CJD訴訟 

 脳外科手術などに用いられていたヒト乾燥硬膜を介してクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)に罹患したことに対する損害賠償訴訟です。

 CJDは、タンパク質の一種であるプリオンが原因とされています。
 狂牛病でも知られるプリオン。プリオンはウイルスよりはるかに小さく、また、遺伝物質をまったく持たないため、ウイルスでも細菌でもなく、生きているどの細胞とも異なります。
 プリオンが脳の組織に感染し、次第に認知症に類似した症状が現れ、死に至る重篤な神経難病がCJDです。

 硬膜は、頭蓋骨と脳の間にある硬くて白い膜。死体から採取されたヒトの硬膜を凍結乾燥し、滅菌処置を施したものがヒト乾燥硬膜です。
 ヒト乾燥硬膜の原料が採取された段階で、プリオンに汚染されていた可能性がありました。プリオン不活化のための十分な化学的処理が行われないまま製品として流通し、脳外科手術で移植された患者にCJDが発生したのです。 
  国、輸入販売業者及び製造業者が、1996年11月に大津地裁、1997年 557 9月に東京地裁で提訴。大津地裁、東京地裁は2001年11月に和解勧告を行い、2002年3月に両地裁で和解が成立しました。 

 2002年に行われた薬事法改正に伴い、生物由来製品の安全対策強化、独立行政法人医薬品医療機器総合機構による生物由来製品による感染等被害救済制度が創設されました。
 また、CJD患者の入院対策・在宅対策の充実、CJDの診断・治療法の研究開発、CJDに関する正しい知識の普及・啓発、患者家族・遺族に対する相談事業等に対する支援、CJD症例情報の把握、ヒト乾燥硬膜の移植の有無を確認するための患者診療録の長期保存等の措置が講じられるようになりました。 


■参考資料
試験問題作成に関する手引き(令和4年3月作成、令和7年4月一部改訂)
https://www.mhlw.go.jp/content/001478035.pdf
Powered by Blogger.